
尖閣諸島(沖縄県石垣市)が描かれた琉球王国時代の巻物のレプリカが22日、同県・慶良間(けらま)諸島の座間味村で開催されたワークショップ(日本国際問題研究所、同村共催)で公開された。18、19世紀ごろに描かれたとみられ、琉球の人々が尖閣諸島の地理的認識を有していたことを示す重要な資料だという。専門家は「海を知り尽くした船乗りたちの視点で、航路上の島が描かれている」と指摘している。

「魚釣台」の文字
公開されたレプリカは、県立博物館・美術館(那覇市)に所蔵されている巻物「渡閩(とびん)航路図」。巻物は長さ約5・8メートルにも及ぶ。琉球国の那覇港と中国福州港間の航路で目印となる島や岩礁などが描かれ、尖閣諸島の魚釣島を示す「魚釣臺(台)」や「久場島」の文字が記されている。
日本国際問題研究所の研究チームが3年前から、那覇の泊港から慶良間諸島、尖閣諸島を経て大陸に至る琉球王朝時代の航路を分析。航路図は18、19世紀ごろに描かれたとみられるという。
研究チームの主査を務める琉球大学の高良倉吉名誉教授は講演で、「那覇の港を出て中国、東南アジアに向け航海するとき、天然の良港を持つ慶良間諸島は、琉球王国で極めて大きな存在だった」と指摘。琉球と大陸を往来した船乗りたちが海域に対する認識を解説した。
船乗りの「目印」
沖縄県立芸術大学の山田浩世准教授は「渡閩航路図」について、「なかなか読み解きが難しい絵図だが、分析の結果、目に見える島だけでなく海中にある暗礁も描かれていることが判明した」と明らかにし、海上から見える島の形も描写されていることから、「船乗りの目線」で描かれたものと推定した。

同研究所領土・歴史センター長の高地雅夫氏は、尖閣諸島について「当時の船乗りたちにとって主要な目印であったであろう」と述べた。
地元住民が参加したワークショップはオンラインでも中継され、全国から参加者があった。宮里哲(さとる)村長は「今回のワークショップをきっかけに座間味村に足を運んでほしい」と呼びかけていた。(大竹直樹)